八月十五日

八月十五日が近付くとテレビでは戦争に関係する番組が多くなります。私は半藤一利

昭和史、二冊とB面昭和史を読みました。

昭和史を読むことは戦争を知ることですし戦争というものが政治家や軍人達だけが起こしたものだけではなかった、国民もまたその一翼を担っていた事を知らされました。そして、知らず知らず世の中が変化していくのにきずかず少しずつ、少しずつ洗脳され気が付いた時には後戻り出来ない状況、状態になっているという恐ろしさに身震いしました。

[国力が弱まり社会が混沌としてくると人々は強い英雄(独裁者)を希求するようになる。また、人々の政治的無関心が高まるとそれに乗じて次々に法が整備され権利の抑圧が強まり、もう後戻り出来なくなる。あるいはまた、同じ勇ましいフレーズを繰り返し聞かされることで思考が停止し強い者に従うことが一種の幸福感となる。そして同調する多くの仲間が生まれ自分たちと異なる考えを持つものを軽蔑しそれを攻撃する事が罪と思わなくなる]半藤さんの言葉は今の社会とどこか重なるように思えてなりません。[教訓としなければならないのは戦争への過程、つまり前段階です。あの時がノーリターン・ポイントだったと悔いない為にも私達民草がどのように時勢の動きに流され何を考えていたか、

つまり戦争への過程を昭和史から知ることが平和であり続けるための大事な日常的努力ではないかと思われます]半藤さんの文章の長い引用ですが大変重要な心にしっかりと止めて置くべきことだと思いました。

終戦]という言葉に違和感がありました。

[敗戦]だと強く思っていました。けれども私達が流され、多くの犠牲と塗炭の苦しみを味わわさた結果やっと戦争状態から解放された、戦争が終わったとの思いが[終戦]という言葉になったのかも知れません。でもやはり自分たちが何をしてきたのかを忘れてはならないと思います。

若い人達に是非とも読んで貰いたい本です!